3.11に考える、日本の電気と原発――“忘れてはいけない事故”と“止められない現実”のあいだで

3月11日が近づくと、東日本大震災の記憶がよみがえります。
あの日は、地震と津波だけでなく、福島第一原発事故によって「電気は当たり前ではない」という現実まで日本に突きつけました。

あれから15年。
原発への見方は今も簡単には割り切れません。事故の重さを思えば、「もう原発には頼るべきではない」と考える人がいるのは自然なことだと思います。実際、事故後に日本の原発は大きく止まり、いまも再稼働しているのは限られています。ロイターは2026年3月時点で、運転可能な33基のうち再稼働したのは15基だと報じています。

ただ一方で、現実の電力需給は理想論だけでは回りません。
経済産業省による2023年度の確報では、日本の発電電力量の構成は、火力が68.6%、再生可能エネルギーが22.9%、原子力が8.5%でした。事故前の「原発3割時代」から見れば原子力の比率はなお低く、日本の電気は依然として火力に大きく依存しています。

この構図は、平時には見えにくくても、燃料価格が動くと急に重みを増します。

日本はLNGや石油などの輸入燃料への依存が大きく、2025年度の夏の需給見通しでも、政府は全エリアで最低限必要な予備率3%は確保できるとしつつ、異常気象や国際情勢の変化、火力発電所の立地偏在などを踏まえれば、なお「予断を許さない」としています。つまり、足りているようでいて、実は余裕が大きいわけではないのです。

だから最近は、発電所を増やすだけではなく、使う側が電力需要を調整する「デマンドレスポンス(DR)」も重視されています。
資源エネルギー庁はDRを、需要家が電力使用量を制御することで需給バランスを調整する仕組みと説明しています。電気が足りない時間帯に企業や家庭が使用を抑えれば、需給ひっ迫の緩和だけでなく、燃料の追加調達コストの抑制にもつながります。つまり今の日本は、「たくさん発電する国」よりも、「何とかやりくりする国」に近い面があるのだと思います。

では、再エネを増やせば原発はいらなくなるのか。
それも、そう単純ではありません。再エネは確実に増えました。2023年度には22.9%まで伸びています。けれど太陽光や風力は天候に左右されるため、需要のピークに常にぴたりと合わせられるとは限りません。水力や蓄電池、送電網整備、DRの拡充とセットで考えなければ、「増えた」だけでは安定供給には直結しません。政府の第7次エネルギー基本計画も、再エネか原子力かという二項対立ではなく、脱炭素電源を最大限活用する方向を示しています。

そうなると、原発をめぐる本当の論点は「好きか嫌いか」ではなくなります。
事故の記憶があるからこそ、安全性をどこまで高められるのか。事故時の避難計画や責任の所在をどこまで現実的に詰められるのか。コストを誰が負担するのか。そして、原発が止まったときに代わりを何で埋めるのか。そこまで含めて初めて、賛成も反対も重みを持つのだと思います。

実際、国の方針は少しずつ変わっています。
2025年2月に閣議決定された第7次エネルギー基本計画では、再エネと並んで原子力も「エネルギー安全保障に寄与し、脱炭素効果の高い電源」と位置づけられました。ロイターも、政府が2040年度の電源構成で原子力20%、再エネ40~50%を見込み、従来よりも原子力活用に前向きな姿勢を強めていると報じています。さらに、次世代革新炉の開発・設置も政策に盛り込まれています。

ただ、ここで忘れてはいけないのは、技術が進めば記憶が消えてよいわけではないということです。
新しい原子炉が今より安全になったとしても、福島第一原発事故が残した教訓まで薄れてよいはずがありません。むしろ逆で、事故の痛みを知っている国だからこそ、「安全神話」ではなく「失敗を前提にした設計」にどこまで徹せるかが問われるのだと思います。

3.11に原発を語ることは、原発推進か反対かを叫ぶことではないのかもしれません。
あの日の被害を忘れず、それでも今の暮らしに必要な電気をどう確保するのか。燃料高騰、脱炭素、産業競争力、地方の安全、避難の現実――その全部を見ようとすることが、いちばん大事なのではないでしょうか。

原発は、便利だから使えばいいというものではありません。
でも、怖いから全部止めれば済むほど、日本の電力事情も単純ではありません。

3.11は、あの事故を忘れない日であると同時に、
「感情だけでも、理屈だけでも決められない問題」と向き合い直す日なのだと思います。

忘れてはいけない事故があり、止めてしまえない現実がある。3.11は、その両方を見つめ直す日なのかもしれません。

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