介護施設での事件がニュースになるたびに、コメント欄には決まってこんな言葉が並ぶ。
「なんてひどい人間だ」「介護士失格」「厳しく罰するべき」——。
気持ちはわかる。高齢の親を、信頼して預けた施設で傷つけられたら、怒りは当然だ。でも、「その人が悪い」で終わらせてしまうと、同じことが繰り返される。なぜなら、事件の多くは「悪い人間がいた」のではなく、「普通の人間が追い詰められた」結果だからだ。
虐待件数は、4年連続で過去最多を更新している
介護施設従事者等による高齢者虐待の件数は、4年連続で過去最多を更新し続けている。
施設別では、特別養護老人ホームが最も多く、次いで有料老人ホーム、認知症対応型グループホームと続く。「一部の悪質な施設の話」ではなく、業界全体で増え続けているという現実だ。
なぜ増えているのか。施設が増えたから、件数が増えたという面もある。だがそれだけではない。現場の疲弊が、限界を超えつつある。
「老人ホームはどれも同じ」は危険な誤解だ
「老人ホームって、安くて待つやつと、高くてすぐ入れるやつがあるんでしょ」——そう思っている人は多いと思う。大まかには間違っていないが、実はもう少し複雑だ。
大きく分けると、公的施設と民間施設の2種類がある。
公的施設の代表は「特別養護老人ホーム(特養)」だ。国の補助で運営され、月3〜15万円ほどで24時間介護が受けられる。ただし原則として要介護3以上でないと入れない。費用が安いぶん人気が集中し、数年待ちになることも珍しくない。
民間施設の代表は「有料老人ホーム」だ。月15〜40万円以上かかることもあるが、すぐに入居できる施設が多い。介護付き・住宅型・健康型など種類があり、サービスの内容も価格も施設によって大きく異なる。
他にも、認知症の人が少人数で共同生活する「グループホーム」、通い・訪問・宿泊を組み合わせた「小規模多機能型居宅介護」、リハビリ中心の「老人保健施設(老健)」など、多くの種類がある。
では、「高い民間施設のほうが安全なのか」というと——データはそう示していない。
厚生労働省の令和5年度調査によると、虐待が認められた施設の内訳はこうなっている。
- 特別養護老人ホーム:31.3%(1位)
- 有料老人ホーム:28.0%(2位)
- 認知症グループホーム:13.9%(3位)
- 介護老人保健施設(老健):10.2%(4位)
特養が1位だからといって「やっぱり安い施設は危ない」とはならない。特養は利用者数が圧倒的に多いため、件数も多くなるのは当然だ。また、要介護3〜5という重度の方を24時間受け入れているぶん、ケアの難易度自体が高い。
一方、有料老人ホームは近年施設数が急増しており、スタッフの質にばらつきが出やすくなっている。「高いから安全」とは一概に言えないのが現実だ。
費用の高低と安全性は、直接つながっていない。どの種類の施設でも、問題の根っこは同じところにある。
虐待が起きる「構造」を整理する
厚生労働省の調査では、虐待の発生要因として最も多く挙げられたのは「職員の知識・意識の不足」(77.2%)だ。しかし、その背景を掘り下げると、別の問題が見えてくる。
慢性的な人手不足の現場では、研修や教育に時間を割く余裕がない。新しく入った職員が十分なトレーニングを受けないまま、現場に出ざるを得ないことも多い。「知識不足」の根っこには、「教える時間も人も足りない」という現実がある。
2番目に多かった要因は「職員のストレス・感情コントロール」(67.9%)だ。
介護の仕事は、体を使う重労働でありながら、精神的な負荷も極めて高い。認知症の利用者からの繰り返しの訴えや、ときに暴力的な言動への対応。看取りの緊張感。家族からのクレーム。それらを、少ない人数でこなし続ける。
離職者のうち「精神的にきつい」を理由に挙げる人は22.5%、「身体的負担が大きい」は29.3%にのぼる。疲れ果てた状態で、感情をコントロールし続けることの難しさは、想像に難くない。
「密室」で起きるケアの問題
介護の仕事の多くは、利用者と職員が1対1で向き合う場面が多い。入浴介助、排泄ケア、夜間の対応——周囲の目が届きにくい環境だ。
これは、虐待が起きやすい構造的な条件でもある。誰かに見られているという意識がなければ、限界を超えたとき、歯止めがかかりにくくなる。
だからこそ、ICTカメラの導入や複数人での対応が推奨されているが、人手が足りない施設ではそれも難しい。
「給与が低いのに、責任だけが重い」という矛盾
前回の記事でも触れたが、介護士の平均給与は全産業平均より月3〜4万円低い。一方で、利用者の命や安全を預かるという責任の重さは、他の多くの職種と変わらない。むしろ、認知症や身体障害を抱えた方々を相手にする以上、精神的な難しさは格段に高い。
平均勤続年数は7〜8年。離職者の3割が1年未満で辞めていく。「覚悟して入ったが、続けられなかった」という人が後を絶たない業界で、残った人たちがさらなる負担を背負う悪循環が続いている。
「悪い人間がいた」で終わらせてはいけない理由
事件を起こした介護士が罰せられることは必要だ。それは否定しない。
でも、その人を罰して終わりにすれば、次の誰かが同じ環境に置かれ、同じことが起きる。構造を変えなければ、問題は繰り返される。
給与が上がり、人が増え、1人あたりの負担が減り、教育に時間が割けるようになれば——事件の数は、確実に減っていく。虐待は「人格の問題」ではなく、「環境の問題」でもある。
高齢の親を施設に預ける立場になったとき、誰もが「安心できる場所であってほしい」と願う。その願いは、介護士が追い詰められない環境があってこそ、叶えられる。
次回は、2040年に向けて「誰が、どうやって支えるのか」を考えていく。
まとめ
- 介護施設従事者による虐待件数は4年連続で過去最多を更新(令和5年度:1,123件)
- 虐待が多い施設は特養(31.3%)・有料老人ホーム(28.0%)・GH(13.9%)——費用の高低と安全性は直結しない
- 虐待の最大要因は「知識・意識の不足」(77.2%)——その背景に教育できない人手不足がある
- 「ストレス・感情コントロール」が要因の67.9%——疲弊した現場が生む問題
- 密室での1対1ケアという構造が、歯止めをかけにくくする
- 給与は低く、責任は重い——残った職員がさらなる負担を背負う悪循環
- 「悪い人間がいた」で終わらせると、構造は変わらない
